このブログについて - About this Blog

このブログは思った事を思ったように書くブログです。政治と経済に興味があるので、そっちを重点的に、でも時々どうでもいい日記や、せっかく留学しているので時に留学生らしい日記も書きたいと思ってます。日本語ラベルは基本的に日本語で書かれていて、英語ラベルは基本的に英語で書きます。
This blog is where I write what I want to write. I am interested in politics and economics, so they will be more focused on, but I sometimes write Diaries which nobody really cares. Blogs with labels written in Japanese are basically written in Japanese, and those with English labels are written in English.
あと、写真についてのブログもやってます。良かったら来て見てって下さい。
Also, I am writing a Photo Blog as well. I would appreciate if you come and enjoy!

Monday, January 30, 2012

[日本語&English] On the Correct Handling of Contradictions among the People - Mao Zedong

タイトルのOn the Correct Handling of Contradictions among the Peopleは何故英語かと言うと、授業でやったのが英語で、日本語訳を見つけられなかったからだ。

この記事は毛沢東による発言である。彼の建国当時の方針などが書かれている。
おもしろい・・・・・・あるいみ。
This is the statement of Mao Zedong when new state, People’s Republic of China, and this is, kind of, interesting.

彼は表現の自由も国民に保証すると言ってる。
・・・最近、政府を批判したアーティストが捕まったが?
彼はこう言う、社会主義に賛成する者は権利を与えられ、反対するものは敵と見なす。そして、社会主義や国家のリーダーに賛成することであれば表現の自由を認め、反対や反発する発言をすれば敵と見なす。
そう言った。
He said he would promise the freedom of speech...well, an artist who criticized the government was arrested recently...? According to him, he was giving the freedom to people supporting socialism and would see people against socialism as enemies of the state. Moreover, any speech that support or that would not be against the government was going to be protected, and if one made a speech against the government, he/she was convicted and seen as an enemy. He said so.

これは本当に表現の自由なのか?
違うような違くないような・・・
Is this really 'freedom' of speech? His statement is kind of logic, but it is, I think, very different from the 'real freedom.'

まだ全文を読んでないのでここまでにしときます。
今回はメモのような日記です。
I have not yet finished reading the article, so I am going to stop writing here...This diary is like a memo for myself.

Thursday, January 26, 2012

日本は外交下手である

日本は良い国だって心から思う。この国に生まれて良かったと思う。日本人の持つ親切心や気遣いの心や誠実感、日本人特有のそのどれもが素晴らしく思う。そんな日本人が大好きだ。

ただ、こんな素晴らしい国民の個性すなわち国民性も、時には脱ぎ捨てなければならないと思う。特に国際関係の場では、そんな日本の国柄を含め、多種多様多数の個性を持った外国と交渉しなければならない。相手が日本と全く同じような国なら、こんな心配はいらないだろう。

例えば、譲歩し合って両国の利益を望める国同士ならさほど問題はないだろうけど、譲歩してできたその隙間にズカズカと土足で上がってくるような、恩を仇で返すような、そんな国も存在するっていうことだ。

中国は日本から多額の援助金等を受け取りつつ、それを軍事拡大に費やし、そして日々反日教育に精を出している。北朝鮮も同じだ。

アメリカはどうだろうか。日本は大きくアメリカに頼っている国だ。日本人はアメリカを信用している。アメリカを疑っているわけではないが、あの国は戦略的な政治は得意な国家だ。たとえ日米安全保障条約が保たれようと、経済面で攻撃してくるかも知れない。そのひとつがTPPだと思う。グローバリゼーションと称したアメリカナイジングには気を付けるべきだ。

思うことがある。日本の政治、特に外交に関しては、綺麗事を述べては他国にどんどん踏み入れられる。そんな気がしてならない。日本特有の素晴らしい個性である”たてまえ”も一歩日本の外に出れば通用しない。

簡単な例はこれだ。日本人来客者に対して帰り際に”またどうぞ”と言っても、その人はそう簡単に再来してこない。しかし、アメリカ人にこれを言うと本当に気軽に訪ねてくる。

言い回しだったり、その国特有のジョークだったり、そういうものは他国には通用しないのだ。国際連盟の会議ではこういった表現を使わないようにしているのも事実で、これもこのような表現の壁があるからである。

要は、何が言いたいかと言うと、外交に関してだけは”日本人らしさ”を忘れてほしいと思う。特に利害のあるものに関しては気をつけてほしい。他国で震災が起こったのですぐに援助を送ろう、こういったものは大いにしてほしいし、日本人らしく小さな心遣いや気配りの力を発揮して、日本は良い国なんだと広めて欲しい。

もうひとつ、日本は受身が多い気がしてならない。中国や朝鮮は徹底して反日教育をして、日本に対しては教科書改編を求めてくる。この改編要求も一部の教育であるのだろうが、日本も日本なりに日本の真実と言うものを世界に広めるべきだと思う。世界に”いつも中国と朝鮮に教科書を直される国”と思われてはならない。そして、日本人には日本人としての真実を教育して、もっと日本が好きになる日本人を増やさなければならないと思う。もちろん、中国のように歴史の捏造はしないことは第一前提である。

そして、戦争は悪いことで、日本はかつでその悪いことをした、と言った教育は聞いていて情けなくなる。人間誰でも喧嘩するように、国は戦争をするし、喧嘩の始まりに理由があるように、戦争の始まりにも理由があって、それぞれの言い分もある。

もちろん、戦争がない世の中は平和で幸せだが、そういうことを教育しつつも、日本がかつて行なった戦争は何故始まったかを追求してほしい。

他国と喧嘩して戦争したけど、戦争は良くないって気づいたから、今はなるべく会議や対談で解決しようとしている。これで十分だと思う。
今の教育は、戦争は良くないので、今はなるべく避けている。こんな感じがする。

この日記の内容は俺の偏見かもしれないし、思い違いかも知れない。ただひとつ真実なのは、今ここでこの記事を書いているこの一日本人は少なくともこういう印象を受けているということだ。

多くの人が日本を変えなければならない、そう言うが、誰にも変えてほしくない。この素晴らしい国を何故変える必要があるのか。そういう彼らに求めるのは、日本を改善すること。
Many people think they have to 'change' Japan, but I don't want them to 'change' but want them to 'improve' or 'fix' Japan.

Tuesday, January 10, 2012

”台湾2留学生殺害 手配の男、任意同行中に自殺” について

台湾2留学生殺害 手配の男、任意同行中に自殺 --日経新聞

まず、容疑者自殺によるデメリットとして、真実真相の解明が難しくなることが挙げられる。
その通りだと思う。

任意同行とはいえ、警察が確実に且つ生きたまま容疑者を警察署に送り届ける事は、同行警察官の責任によらなければならないと思う。そして、順序を踏み、問うべき真実とやらを解明していく事が大切だと思う。

ただ、このような結果を強く、猛烈に批判する人がいる。それは止めて頂きたい。警察や医者というのはいつも必要以上に世間からのプレッシャーを受けてる。本当はどうすべきだったか、そんなことは結果が出なければ分からない。現場では警察官の勘や、証拠とまで為らずとも、彼らの確信によって行われている・・・はずだ。

なぜ任意同行にしたんだ?だから容疑者が自殺したんだろ?
そう思う人がいるかも知れない。TVによると、警察官は確実に容疑者が犯人であることを確認する必要があったらしい。手錠をしなかったのもそのためだとされる。警察は正しかったのか・・・。
俺は正しかったと思う。後に冤罪となっては困る。だが、もう少し、日本の警察全体として、厳しくても良かったのではないかと思う。手錠かけても、冤罪だって証明できたならそれはそれで良いじゃないか、そう思う、個人的にね。今回の場合、警察官の注意不足もあったかもしれない、だけどやっぱ、彼らの安全面や、このような結果を出さないためにも手錠くらいは使って良いんじゃないかって思う。手錠は犯人と確定された人にだけかけると言う決まりのようなものがあるとすれば、それには反対だ。

今回のケース、手錠が使われなかったとしてこの記事を書いているが、特にそういう記述は見つかっていないので、後々で確認します。

【今回個人的に持った疑問】
1.任意同行には手錠は使われないのか。
2.そういう決まりはあるのか(疑問1に対して)