「中国」だろう
今4つのクラスをとっているうち2つが
近代中国史、中国と日本の政治と政府
というクラスだからだ
後者の方は日本は含まれているが、中国史(毛沢東時代以降)がややこしいので、どちらかというと中国に重点が置かれているように感じる。
そして、今、近代中国史の授業ではちょうど1911年の革命以前の事を勉強している。
この革命の勉強が終わったとき、やっと2つの授業がつながり、俺にとって有利な期間が訪れる。授業内容が若干かぶるので。
中国という国は、なんというか、騒々しいというか・・・
この国は昔から内部、外部の圧力と戦ってきた
もちろん、ひとえに「中国」とひとくくりにしてはいけない。
数ある王朝の数々、それぞれが違う民族によって「今の中国のある土地」を支配してきた。それぞれ違う民族と言っても、何度も王朝を持った民族もいる。元(モンゴル)に支配された時期もあった。
このように、内部あるいは内陸からの圧力というのは常にあったのだろう
イギリスとのアヘン取引が問題になりアヘン戦争が勃発した
きっとこの頃であろう、外部からの圧力がより一層増したように思える。
外部とは、ここでは、海外又は遠い国とする。
西洋の技術に圧倒され、戦っては負けて不平等条約を強いられた中国・・・
そういった中、国民性の重要さに気付いた中国。
国民性とは「国民としての認識」である。例えば、日本人が自分は日本人だと思う認識である。中国は、中国統一と共に、国民に彼らが中国という国の一員であると思わせ信じさせる必要があると悟った。毛沢東の反日反米政策もその一種で、外部に敵を作ることで国民の意識の統一を図ったとされる。
毛沢東は自らの制作の過程でかなりの人数の人間を殺した。そして現存する共産党の父であり、天安門には大きな写真が飾られる。彼は、反乱や革命を恐れた。共産党を反対するものは端から消した。
彼の死後はもっとややこしい。簡単に言うと色々な政治家が社会主義に取り組みつつも、西洋の資本主義の魅力に気づき始めてしまい、いかに西洋(と日本)の技術を取り入れるかに取り組んだ。だが、今もなお、共産党批判は許されない。
中国での政治批判はつまり共産党批判である。なぜなら、共産党独裁国家であるからだ。数ヶ月前にアイウェイウェイというアーティストが政治体制に批判的なことがあったとして逮捕された。
中国では表現の自由がまるでない。毛沢東は認めていたが・・・「共産党を支持する者や発言に対しては自由を与え、共産党に批判的な者や発言は徹底的に排除する」と言ってね・・・認めてないのと一緒だよね、これは。
中国人の国民性というのはこういう歴史から生まれたと言う事は確かである。
中国人というのはどんな人かという話になると良い印象は受けない・・・
・嘘つき
・人を助けない
・自己中心的
などなど
何がこのような国民性をつくりだしたのか・・・
それが俺の疑問である。
授業で聞いた話がある。
とあるバスの下車途中に転んでしまったおばあさんがいるのを見て、通りかかった男性が彼女を助けた。すると後日、そのおばあさんはその男性を訴え、有罪となった。
・・・理解に苦しんだ。
何故訴えられ、有罪になったか・・・それは、男性が面識のない女性に近づいたこと。何か目的があったに違いない。ただ人を助けるためだなんて嘘だ、怪しすぎる。
・・・ということだそうだ・・・なんなんだ?
とあるビジネスマンの本を読んだ。
彼はとある村を通りかかったとき一人の老人が道端に倒れてるのを見つけた。もう息はしていなかった。助けてあげるべきだったが、その時急いでいたこととタクシーの運転手に異様に急かされたことにより、その時は助けてあげれなかった。数日後、多分一週間くらい後、また同じ道を通りかかった。そこにはまだその老人が倒れていた。村からこんなに近いのに、誰かは絶対に気づいているはずなのに、そこにはまだその老人がいた。彼は他に出来ることもなく、花だけ供えてその場を去った。
人を助けて何が悪いのだろうか。
何故人を助けることが恥なのか。
なぜ人を助けて訴えられ、しかも有罪までもらうのか。
その国民性はどこから生まれたのか・・・
数々の政治家が色々な政治をした。
そのうちひとりは「誰かがお金持ちになり、他の誰かが乏しくなっても良いじゃないか」という政策をし、国民の中で騙し合いや蹴落とし合いが始まった。この頃から国民は「信用」と言う概念を忘れてしまったのだろうか・・・しかし、騙し合い文化は三国志の中でも既に見られていた。
このように、俺はまだ全く自分の疑問に答えを見つけていない
この学期でもっと勉強して突き止めたいと思う。
中国は日本の近所であり、危険な国だ。
中国を知ることで日本を守れるかも知れないと最近思う。
中国は深い国だ・・・いろんな意味で
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