このブログについて - About this Blog

このブログは思った事を思ったように書くブログです。政治と経済に興味があるので、そっちを重点的に、でも時々どうでもいい日記や、せっかく留学しているので時に留学生らしい日記も書きたいと思ってます。日本語ラベルは基本的に日本語で書かれていて、英語ラベルは基本的に英語で書きます。
This blog is where I write what I want to write. I am interested in politics and economics, so they will be more focused on, but I sometimes write Diaries which nobody really cares. Blogs with labels written in Japanese are basically written in Japanese, and those with English labels are written in English.
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Friday, March 16, 2012

地震から一年

あの地震から一年が経ちましたが、日本国内では色々な疑問が浮上してきたようです。 

事在れば即刻対応すべき政府ときたら 
優柔不断で物決めれず。 
せっかくもらった援助金もどう分けるかと長々とお話し合い。 
少し強引でも、無理矢理でも、後で少し困っても、 
少しくらい人間らしく感情的になる政府があっても良い気がするのは俺だけだろうか。 
集まったお金をどう遣うか決めるのは国じゃなくて、地域に任せるべきだ。 
地元の人が地元を良く知ってるのは当たり前で、 
そういう人たちの方がよっぽどうまい遣い方をしてくれる。 

あの地震直後の、喪に服して娯楽を慎み募金すると言う風潮が、 
しばらくして、むしろ東北に観光なり行ってお金を地元に直接落とした方が良い、 
そういう流れになったのには賛成である。 

何でもかんでも地方分権を薦める訳じゃないけど、 
特に非常事態に対しての準備くらい地方にやらせなければ駄目だと思う。 
それに、地震は関係ないけど、今や国より地方レベルの方がよっぽど優秀な人材がいるように思えてならない。政策云々はさておき、リーダーシップと言う面では確実にあの総理に勝ると思っている。 

政治の対応に加え、多くの人が他に疑問を持った事と言えばメディアではないだろうか。 
どのテレビも放射能漏洩の情報を放送するも、 
片や危険と喚起し、片や人身に影響を及ぼす物でないと報道した。 
どの情報が本当なのか、どの情報を信じれば良いのか。 
混乱が混乱を呼んだ。 

後ろで政府が情報流出量を操作したと言う見解もあるが、 
その行動自体は咎めるものではないと思う。 
分った事だけどんどん流してたら国民は混乱するだけだ。 
しかし、今回はその通りになった。 
政府の意図どうこうでなく、結果として様々な情報が蔓延して国民は混乱していた。 

実際の放射能の影響力は知らないが、それらの報道の結果、 
被災地の作物は売れなくなり、異常がないとされる原発まで運転停止し、 
この不景気の中数少ない国にとって重宝すべき黒字会社であろう東京電力が赤字に墜ちた。 

そして原子力発電所に土地を提供し国から手当てを受けていた地方行政は、 
今後数年、或いはその原発が再始動するまで、赤字に苦しむだろう。 

そして、あの地震から一年、被災地で何が変わったのか。 
町の中心部はそこそこ建物が建ってきたものの、 
海岸沿いはまだ被災当時の惨状が残っていると言う。 
地震から一年で惨状がそのまま残っているものだろうか。 
建物建たずとも、整地くらい出来ようものが、 
当時の傷跡そのままと言う事があって良いものであろうか。 
聖地と言うのは物の例えだが、このレベルの低さを分ってもらいたい。 

利益があると分れば数ヶ月でどんどん家を建てて売り出しているような技術が溢れているこの国が、この一年で何が出来ただろうか。 
被災から一年、まだ住む家も、生計も立てれない人がいる。 

行方不明者の捜索を願って復興に悲観的な人もいる。 
それも素晴らしい考えだと思う。 
では復興は後回しにするのか。 
仮にそうだとしても、そういう人を支援している政府があるだろうか。 

被災地に赴いた人達の中で、 
もう少し政府から失われた命に触れるような言葉がほしかった 
そう言った人がいた。 
いったい政府は何を思ってどんな対応をしたのだろうか。 

自国の国民の命を想えない国家があって良いのだろうか。 
つい最近、一通りの紛争を終えたとある中東の国に「自国民を守る責任」と言うものを国連が教え込んできた。 
それまで国民を人間と見なかった政治に一応の終止符は打たれた。 

さて、地震で失われた命は救えなかったにしても、 
その失われた命を尊うのはそういう責任に含まれるべきではないかと思う。 
含まれるのであれば日本は、 
独裁がやっと終わったその国より相当程度が低いものに思えてならない。 
少なくとも希望は持ち辛い。 

大規模な地震とは言え、地震ひとつでこんなにも問題が浮上する日本。 
自分の国だから際立つものはあると思うが、 
自分の国だからこそ見過ごすわけにはいかないし、 
自分の国だからこそ悲しくてならない。 

法律を整え、法治国家として立派に、 
そして何があっても崩れない組織力を培うのも大切で、 
国として守るべきものである。 
しかし、融通が利かな過ぎたり、臨機応変に対応できなかったり、 
形ばかりに囚われて国民を苦しめる政府があって良いものか。 

災害や、大きな問題が起こると浮上する政治としての問題の数々。 
これが目立ち始めてきた現代こそが、 
本当に国民が目覚める良い機会なのではないかと思う。 

メディアも政治家も、反中、親中、反日、親日、右翼、左翼、色々といる。 
表現の自由もほぼ完璧に達成されている世の中。 
今こそ、難しい話題だからと目を逸らさず、 
疑問を持って、ちゃんと考えて、 
そうして完璧ならずとも最善な策を、 
国民全体が個々で見出せるようになれることを祈る。 

理想の政治とはなんなのか考えることが大切。 
特に日本のメディアに流されてはならない。 

この国は異常だ。 
でも大好きだ。 
だから俺は諦めないし、皆に諦めてほしくない。 

寿司食べたい。

Yoshi
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